2009年06月03日
やっと 厄払いに行けました
神戸にある 松尾稲荷神社です
ホールインワン症候群の厄払いです
代々 お参りに行かせていただいております
なぜ 先祖の方が行き始めたかは定かではありませんが
いつも 中にはいると落ち着きます

神戸を流れる湊川
楠木正成公が活躍していた南北朝時代には
兵庫区荒田町から湊川神社西側を通って
この地の脇に流れ出ていたそうです
松尾稲荷神社(といってもお稲荷さまを祀った祠ですが)は
その湊川の堤防の上にありました。
戦いを前にした楠木正成公は
この地に建っていた大きな松を目印に一族郎党を集め
みんなが身に着けていたお守りの護符が
血で穢れてしまうのを避けるために
この松の根元に祀られていたお稲荷さまの祠に
納めたという話が伝えられています
昔は お守りは けがさなかったそうです
残念ながら、この松の大樹は枯れてしまったため
残されてはいませんが
「松尾稲荷」という名前にその名残りが残されています。


昔は このビリケンさんこわかったんやけど~
ビリケンさんは、1907(明治40)年にアメリカの彫刻家が
神さまの姿をイメージして作ったものだそうです
「幸運の神さま」として世界的に流行したビリケンさんですが
ここに祀られているものは 日本で作られた
一番古い ビリケンさんです
大正初期にアメリカの水兵によって神戸に持ち込まれたものを
元町の洋食屋のご主人が見よう見真似で作ったものだそうです
このビリケンさんの像は、新しいもの好きの神戸っ子の中で
たいへん評判になって洋食屋の入口が
見物客で大混雑するようになり
「こんなん商売にならへん」ということで
松尾稲荷神社に奉納されることになったそうです
足の裏を なでて 一願成就です
でも 何で 私を含めて 5代に渡って お参りしてるんやろ~

ホールインワン症候群の厄払いです

代々 お参りに行かせていただいております

なぜ 先祖の方が行き始めたかは定かではありませんが
いつも 中にはいると落ち着きます


神戸を流れる湊川

楠木正成公が活躍していた南北朝時代には
兵庫区荒田町から湊川神社西側を通って
この地の脇に流れ出ていたそうです

松尾稲荷神社(といってもお稲荷さまを祀った祠ですが)は
その湊川の堤防の上にありました。
戦いを前にした楠木正成公は
この地に建っていた大きな松を目印に一族郎党を集め
みんなが身に着けていたお守りの護符が
血で穢れてしまうのを避けるために
この松の根元に祀られていたお稲荷さまの祠に
納めたという話が伝えられています
昔は お守りは けがさなかったそうです

残念ながら、この松の大樹は枯れてしまったため
残されてはいませんが
「松尾稲荷」という名前にその名残りが残されています。


昔は このビリケンさんこわかったんやけど~

ビリケンさんは、1907(明治40)年にアメリカの彫刻家が
神さまの姿をイメージして作ったものだそうです

「幸運の神さま」として世界的に流行したビリケンさんですが
ここに祀られているものは 日本で作られた
一番古い ビリケンさんです

大正初期にアメリカの水兵によって神戸に持ち込まれたものを

元町の洋食屋のご主人が見よう見真似で作ったものだそうです

このビリケンさんの像は、新しいもの好きの神戸っ子の中で
たいへん評判になって洋食屋の入口が
見物客で大混雑するようになり
「こんなん商売にならへん」ということで
松尾稲荷神社に奉納されることになったそうです

足の裏を なでて 一願成就です

でも 何で 私を含めて 5代に渡って お参りしてるんやろ~

Posted by 侍ジョニー at 11:10│Comments(0)
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